能行遺跡第5地点
所在地 :北九州市小倉南区長行西一丁目
調査時期:令和3年11月1日~12月24日
調査面積:1,804.99㎡
調査の内容
能行遺跡はこれまでの調査において弥生時代前期後半〜中期の石斧生産集落であることが指摘されている遺跡で、今回の調査区は紫川の支流である溝尻川の東側80mほどに位置している。
調査区内には西側を中心にこぶし大の礫層が広がり、自然流路(河川)の跡と考えられる。礫層の直上には弥生土器を中心とした土器片や石器が散見される。礫層の裾部分には礫溜り(礫が集積した高まり)が3箇所に見られ、この中からは8世紀を中心とした土師器や須恵器が出土している。このことから礫溜りは奈良時代以降に形成されたものと考えられる。また、墨で文字や記号などが書かれた墨書土器や貴重品であった越州窯系青磁碗なども出土しており、周辺集落に識字層である有力者が存在していたことを窺わせる。なお、礫の中には石斧の材料となる石材や未製品(作りかけ)、また石器作りの道具と考えられる敲打具(叩き石)などが多く確認されている。また、北西側には柱穴と溝状遺構を中心とした遺構群が形成されており、詳細な構造や棟数は不明だが、数棟の掘立柱建物が存在していたと考えられる。溝状遺構は調査区の東側にある丘陵の裾部に沿って蛇行しており、ここを境として丘陵側の遺構が密となっているため、集落を区画するものだと考えられる。これらの遺構からはわずかながら弥生土器片などが出土しており、当時の集落跡の可能性がある。
今回の調査では従前の調査で指摘されているとおり、石斧の未製品と思われるものが多く、石包丁や石戈(武器)なども出土しており、近隣に石器工房が存在した可能性がある。また、8世紀代の遺物がまとまって出土しており、これらの状況は当地域の弥生時代および古代の集落を考える上で重要な資料と言える。
能行遺跡第5地点遠景(北から)
礫層と礫溜り(南東から)
掘立柱建物跡と考えられる柱穴群(北東から)
礫溜り下層(礫層の直上)から出土した石戈(東から)
主な遺構
弥生時代、奈良時代 | 礫溜り、溝状遺構、土坑、ピットなど |
主な遺物
弥生時代、奈良時代 | 弥生土器、石斧、石包丁、石戈、石斧未製品、敲打具、8世紀の土師器、須恵器、 墨書土器など |
コンテナ | 451箱 |