守恒遺跡第15地点
所在地 :北九州市小倉南区守恒本町一丁目
調査時期:令和4年6月6日~6月30日
調査面積:304㎡
調査の内容
守恒遺跡第15地点は小倉南区守恒本町一丁目にあり、紫川の中流域東岸に位置する。本遺跡は弥生時代中期を中心とした集落として知られており、従前の調査において、五銖銭(ごしゅせん)と呼ばれる中国漢代の銭貨や脚部に三角形の透窓(すかしまど)を持つ瀬戸内系の高坏などが出土している。これらの遺物は他地域との活発な交流を示唆するもので、また、当時としては珍しい三面庇(ひさし)付の掘立柱建物が確認されており、地域の拠点の一つであったことが窺える。
今回の調査では南北方向に延びた濠が約13mにわたって確認された。深さ約1mを測り、断面は逆台形状に近いが、床面は凸レンズ状となる。埋没途中で弥生時代中期の土器が大量に破棄されており、土器溜りとなっている。この濠の西側には掘方径約1m、深さ約70cmの柱穴が確認されており、大型建物の存在が想定される。この覆土からも弥生時代中期の遺物が出土しており、濠とほぼ同時期に併存したと考えられる。また、濠の東側にも径40cmほどの柱穴4本が3m間隔で並んでおり、この柱列は濠にほぼ併行している。
濠の西側では土坑墓が2基確認された。1号墓は北側を一部壊されているが、平面は長さ約2m、幅約50cmの細長い楕円形を呈し、北西から南東に向いて作られている。南東側の床面は一段高く掘り残されており、故人はこの部分を枕にして埋葬されたと考えられる。また、この枕状部分からは、口縁部を欠損した弥生時代中期の壺が出土した。この壺は潰れた状態でみつかったが、底部が上を向いていることが確認でき、本来は伏せた状態で置かれていたと考えられる。また、調査区の東西の端部にて確認された1、5号溝状遺構は併行しており、南北方向に延びる。両者は北側で接続するため、コの字状に巡っていると考えられる。どちらも床面は平坦で、犬走り状の小段が両岸に削り出されている。なお、遺物はほとんど出土せず、詳細な時期は判断できない。
この様に調査区内からは多くの遺構が確認されており、出土した遺物のほとんどが弥生土器である。これらの状況は当地域の集落を考える上で重要な資料であるといえる。
調査区全景(上が北東)
弥生時代中期の濠(北東から)
土坑墓と出土した弥生土器の壺(北東から)
主な遺構
弥生時代 | 土坑、土坑墓、濠(弥生時代中期)、溝状遺構、ピットなど |
主な遺物
弥生時代中期 | 弥生土器の甕、壺、高杯など |
コンテナ | 48箱 |