石田遺跡第7地点

所在地 :北九州市小倉南区上石田三丁目
調査時期:令和5年4月3日~5月31日
調査面積:1868.34㎡

 

調査の内容

 本遺跡は竹馬川の支流である稗田川と石田川の間に展開する狭長な沖積平野に位置する。遺構は調査区全体から検出され、竪穴建物3軒、土坑5基、溝状遺構17条、ピット多数などが確認された。竪穴建物は西側に集中しており、平面形は約5〜6mの方形を呈する。深さ10〜20㎝程度で、上部を削平されていると考えられる。この内、2軒は4本柱であることが確認できた。これらの中からは弥生時代終末期〜古墳時代前期と考えられる遺物が多く出土している。1号竪穴建物は3軒の内で一番大きく、南西角付近で確認された遺物群には高坏が多く含まれていた。

 また、2号竪穴建物では遺物と共に炭粒や炭化材の小片が中央付近にまとまって確認されており、焼失建物の可能性がある。なお、竪穴建物を取り囲むように溝状遺構が検出されているが、部分的に切り合いが確認でき、建物に先行して作られたものと考えられる。また、東側で確認された14号溝状遺構は弧状に延びており、南半部で多くの遺物が出土している。

 なお、この西岸付近には非常に多くの土器が集積しており、高坏や甕などの完形品が並べ置かれていた可能性がある。また、溝状遺構としたものの内、2条は自然流路と考えられ、最下層に砂層や有機質を多く含んだ腐植土層が確認できる。遺物は砂層の中に多く含まれており、15号溝状遺構では完形品の小型丸底壺が出土している。

これらの状況は周辺地域の弥生時代終末期〜古墳時代の集落を考える上で重要であり、貴重な成果を得ることができた。

 竪穴建物(1〜3号)全景(上が北西).jpg

竪穴建物(1〜3号)全景(上が北西)


 

1号竪穴建物遺物出土状況(北から).jpg

1号竪穴建物遺物出土状況(北から)


 

15号溝条遺構 小型丸底壺出土状況(南から).jpg

15号溝条遺構 小型丸底壺出土状況(南から)


 

主な遺構

 弥生時代〜古墳時代  竪穴建物、溝状遺構、土坑、ピットなど

主な遺物

 弥生時代〜古墳時代  弥生時代終末期〜古墳時代前期の弥生土器・土師器、古墳時代の須恵器、石器、砥石、木製品など
 コンテナ  199箱

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